山びこ学校の里、 山形県上山市 山元-1
5月4日の長女と一緒の小旅行の成果はまだ続きます。ここは上山市山元(かみのやまし やまもと)です。山形市から白鷹町へ向かう国道348号の上り坂の途中にあります。
何の変哲もない山里に見えますが、ここは戦後の教育史上有名な出版物の「山びこ学校」(無着成恭編)が編まれた里です。
戦後間もない1948年(昭和23)にこのスケッチの中央にある旧山元村(現上山市)の中学校に地元の師範学校を出たての無着成恭(むちゃく せいきょう)氏が赴任し、教育の柱を生活の現状を綴りかた(作文)にすることにおきました。
当時の2年生のクラス全員43人が綴った成果を1951年(昭和26)に「山びこ学校」として発表、当時の教育界に衝撃を与え、2年間で12万部のベストセラーとなりました。
その人気は翌年1952年に、監督今井正、出演木村功、滝沢修、東野英次郎などで映画化されたほどでした。
彼はその実績で1953年にウイーンでの国際教育会議に出席するほどになりましたが、翌年村を追われることになります。詳しい事情は分かりませんが、映画化により村の貧しさを世に宣伝したとかウイーンからの帰路に無断でソビエトに行ったなどの理由のようです。
その後は東京で教職につき「続・山びこ学校」を発表するなどここの成果で世に立っていたようです。
村は今は明るく見えますが雪も多く、急な斜面ばかりで暮らしは大変なようです。次の記事で村全体のスケッチをUPします。
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コメント
「山びこ学校」
「むちゃくせいきょう」
・・・聞いたことはあるのですが詳しいことは・・・
というわけでちょっとネットで調べてみましたら、無着成恭氏は「こども電話相談室」のレギュラー回答者をされていた方なんですね。それで聞いたことがあるのだと思いますが、そういう方だったとは知りませんでした。
しかし無着氏が村を追われた理由というのがなんとも・・・
そういう時代だったんでしょうね。今ならそういう展開にはならない気がしますが。
それにしてもスケッチを描かれるペースが尋常じゃないですよね。
たぶん杜しまさんのブログを見られている方はみんなそう思っていると思いますけど。
けっこう緻密な絵なのに、よくもこんなにジャンジャン描けるものです。私ならああでもないこうでもないと、ひとつ描くのに1年ぐらいかかりそうです。
(ま、そもそも描けませんが・・・)
投稿: anago | 2008年5月13日 (火) 18時27分
anagoさん、こんばんは。
無着さんは、電話相談でだいぶ長いこと出ていましたが私はあの語り口が馴染めませんでした。
まあ天才の一発芸と言った感じの「山びこ学校」の6年間で一生食えるんですから、このような出会いの発見と活用が人生を決めた例ですね。ある意味うらやましいです。
5月の爽やかな陽光のもとで、長女としばらくぶりであちこち動き素敵な風景を沢山見たためにハイになっていました。山形シリーズあと3枚はいきます。
投稿: 杜しま | 2008年5月13日 (火) 20時19分