普賢菩薩が見守る里 宮城県金成町 普賢堂 その2
前記事の分校から谷戸の奥へ行くと、田んぼの中にぽっこりと小山がありそこに小さなお宮がありました。お宮の後ろから分校のほうに向かう風景です。
由来を見ると、平泉王国初代の藤原清衡がこのあたりに四ヵ寺を建立し、ここはそのひとつがあったところとされています。しかし南北朝期に焼失し、その後このあたりを支配した豪族の葛西氏が1578年に普賢菩薩を祀る普賢堂を建てたとありました。このことが地名の由来でしょう。戦国時代の葛西氏の没落により一時荒廃しましたが伊達氏の時代に藩の新田開発政策とともに蘇り今に至るそうです。
社殿は小さいものでしたが新しく建て替えがなされていてきれいでした。中には白い象に乗った普賢菩薩が祀られているそうです。
山に避暑に行っていたアキアカネたちも戻ってきたようです。
用紙はF8です
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コメント
なるほど・・の由来でした。
歴史には皆目疎い私ですが、その昔・確実に
その時代はあり、そういった人物が存在したということ。
荒廃後、蘇った田は、後々小山の社殿と共に
今日まで受け継がれ守られているのですね。
表情豊かなヒマワリやトンボ、この贅沢な景色の中では我が天下ですね。
投稿: kayo | 2008年8月20日 (水) 14時57分
kayoさん、こんばんは。
オリンピックは相変わらず熱戦が続いています。
日本中どこにでもある風景でしょうが、そこに歴史の陰影が重なると別なものに見えますね。
投稿: 杜しま | 2008年8月20日 (水) 20時07分