小さな分校があった里 宮城県金成町 普賢堂
宮城県と岩手県の県境の丘陵地帯の南に宮城県金成町(かんなりまち、現栗原市)があります。その名のとおり産金地帯として平泉藤原氏との関係も深く義経伝説の中の金売り吉次(地元では橘冶)もここで活躍し、その親は炭焼き籐太という長者でその墓と伝えられているのが国道4号沿いの小山にあります。
このあたり低い丘陵が重なり合いその谷戸に耕地が開かれ、農家が点在する美しい田園景観が広がります。車もめったに合わない細い道をすいすい走りながら撮影を続けていると小さな分校がありました。既に閉校されていましたが市の野外活動施設としてきちんと利用されていました。
普賢堂分校といい、平成7年の閉校時に建てられた石碑がありました、そこには江戸時代から村の学問所として続いていたことが記されていました。小学校の分教場、分校として120年の歴史があり、この校舎は昭和28年のもので3教室だったとのことです。先生は後ろの農家に下宿していたのでしょう。
小さな里にしては普賢堂といういわくありげな地名ですがその由来は次に。
用紙はF4です。
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コメント
その昔、この学校も子供達の歓声で賑わっていたことでしょう。
若者は徐々に都会を目指し、加えて少子化は進み・・どこもここも分校は地区のお年寄りのゲートボール場となっていますね。
まだお年寄りが健在ならいい・私の故郷など
廃屋同然の家が目立ちます。
無論・ゲートをする人さえ、見当たりません。
金成町名の由来は、義経伝説の金売り吉次から付いたのかしら?
普賢堂・堂が付くのは珍しいかと・・地名の由来はいわく付きですか?
次回・楽しみにしています。
投稿: kayo | 2008年8月19日 (火) 14時02分
kayoさん、こんにちは。
最近はゲートボールも下火になってきているようです、ブームだった時は戦前生まれの方々が元気だったからでしょう。私達戦後世代はやりませんからね。
金成の由来はよくわかりませんが、奥州街道の時代から金成宿の名がありますので金売り吉次以来の歴史の故だろうと想像しています。この町のすぐ南には涌谷町(わくやちょう、金が湧く谷)という町がありそこの観光名所は砂金探しです。
投稿: 杜しま | 2008年8月19日 (火) 17時55分