1年間ありがとうございました、月の幻想
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12月26日に仙台でも雪が降りました。家の前の通りを走るバスのタイヤチェーンの重い音で目が覚めました。どかっと降ったわけではなく、薄雪といったところです。それ以降ずっと降っています。
晴れた雪景色が欲しかったので4輪駆動車にものをいわせて仙台市の北端の集落のひとつに行きました。狭い市道を上って行くと道は数軒の家で構成される集落で行き止まりになります。無用のよそものが入り込めば不審者として見られてしまいます。赤いピラカンサの実がきれいでした。
ここは、古い歴史がある集落です、絵の左手には300段ほどの急な石段を登った先に鷲倉(わしのくら)神社が祭られています。古い山岳信仰の地としてこの集落はその参詣道の守りをしてきたようです。左端の石碑は大正13年の日付があります。上の馬の字と下の神の字は読めますが中間が読めませんでした。このあたりに多い馬頭観音碑の流れだろうと思います。
口伝によれば、歴史は推古天皇の時代(600年前後)にさかのぼり、確かなものとしては境内の板碑(1303~07年)や1604年に仙台藩祖伊達政宗により社殿が建立された記録があります。少し下った根白石(ねのしろいし)城には政宗の祖母裁松院の隠居所跡と墓所もありますし、仙台城下建設時の最上藩への監視と北西端の鎮護として置いたのかもしれません。
少し前まで続けていたテニスで鍛えたつもりで約45度勾配の石段を登ったら完全に息が上がり下りはひざが笑い、次の日もまた次の日もふくらはぎが痛んで往生しました。
どう見てもこの集落はただものではない風格があります、そのうちつてをたどって郷土史家に歴史を聞いてみるつもりです。
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妙に暖かい年末でしたが昨日から冬本番のようです。
暖かい日に奥松島の大浜漁港の防波堤にカレイ釣りに行きました。小型ばかりでしたが釣れないよりはまし。
飽きて車に戻ったら、車の下でネコの鳴き声がします。ん、、と思ったらクロネコが這い出してきました。まだ大人になりきっていない優しい目をしていました。なんか食べ物くれと言っているようだったのでビスケットをやったら食べ、舌なめずりをしてもっとくれと催促していました。追加を少しづつやっていたら車の中に飛び込んできてひざの上に乗る始末。おいおいこのままドア閉めて誘拐しちゃうぞ。
なんのサインか分かりませんがしっぽをピンと立てていました。ここに来る楽しみができました、次まで元気だといいな。今度はチョコ味ビスケット持ってくからね。
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南みちのくの冬はサザンカの花がわずかないろどりです。あちこちの生垣や庭木に使われています。園芸種がたくさんあり白から赤その中間までいろんな色や一重、八重のがあります。うちのは白地に赤が少し、近くのお宅のは白と赤。
地方の旧家のお嫁さんたちの共通のひとりごと 「お正月なんか来なければいい!!」 とにかく休むひまなくいそがしいのです。
大掃除から料理つくり、お正月を迎えればいらない来客(里帰りという名のお泊り客もいる)の酒飲みのお相手、そしてあとかたづけ、ふううー。そして息つく間もなく小正月です。12月から2月はじめまで大変です。「クリスマス??どこの話だべ??」
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冬の遠野郷、遠野物語の主役達がひそやかに出てきます。座敷童子(わらし)、かっぱ淵のかっぱ、そして主神オシラサマなどなど。
この伝統民家の曲り屋は遠野市土淵にあります。大切な馬と人とがひとつ屋根の下で暮らす構造です。
いちばん愛嬌があるのは座敷わらしです。旧家の奥座敷にさりげなく居つく赤い着物を着た子どもの物の怪です。福の神の側面も持ち、いなくなってしまった家は傾くと言われています。
座敷わらし 「ああ、かっぱ淵のかっぱが遊びに来たよ、納屋からきゅうり漬け持ってきたから食べてけろ」
かっぱ 「ありがとよ、寒いとわらすこども川さ遊びに来ねからや、おらはらへって死にそうだ。おめんとこはわらすいっぺ居るんだやな」
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郵便局へ年賀はがきを買いに行った時、カウンターに原田泰治さんの冬景色切手シートがありました。愛嬌のよい局員に「これでおしまいですがいかがですか」と言われて買いました。
おまけにもらった赤いポストは印鑑入れ、小さいのは消しゴムです。
著名な方ですから説明は不要ですがどこか真似ができないかなと思いました。でもよく見るとまったく別な技法で描かれていました。
「ナイーブ画家」と海外で評されており、「素朴画家」と訳されているようですがちがうように思います。私のような在野のしろうとが描いているようなものならいざしらず、プロが徹底的に煮詰めてデザインイラスト化されています、とても素朴という言葉で表現すべき作品ではないです。
で、うんまあ、自分なりに雪景色を描いてみようと11月23日の記事の秋田県増田町の風景を矢口高雄さんの画集を参考にして雪景色に変えました。冬には行ったことはありませんが多分こんなふうになっていることでしょう。
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この季節仙台のまちに彩りを添えてくれるのはサザンカの花です、街路樹や公園樹、庭園に多く使われています。
都心から北へ6kmほどの幹線道路の脇に茅葺きの建物がひとつあります。知り合いの知り合いのお宅です。周辺が宅地開発されて様変わりしましたが頑固に数ヘクタールの農地を守っています。
仙台市の都心に最も近い茅葺きです。
すぐそばに、100年を越える伝統を持つM学院(幼、女子中、高、大)があります。その高校生がバスを待っていました。宮城の私学ではトップにランクされる華がある品のいい学園で、パンダ化粧をして繁華街を徘徊する子は見たことがありません。制服やスクールコートも地味ですが彼女たちはそれと胸のバッジに誇りを持っているようです。
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いつもなら山も里も白い季節のはずですが、今年は11月末の寒波以来穏やかな日が続いています。
11月28日の記事と同じ谷間の仙台市の北端の集落の一軒です。南向きの暖かな谷間です。いつもロケハンの途中に横目で見ていたお宅です、谷の一番奥にあり大きないくつかの建物で構成されていてひと集落といえそうなくらいです。
このあたりは仙台城下が建設されるよりはるか前の多賀城国府につながる歴史がある地域です。多分このお宅の歴史もただものではないでしょう。
いつも入り口のところにカラフルなビーチパラソルが立てられているのが印象的でした。
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前記事の対岸部に帰省中の長女と行きました。小さな公園が整備されていて小高いところに記念碑が建っています。
宮城の中央部を横断する鳴瀬川と吉田川が河口部で合流しています。ここに明治11年から全国初の政府直轄の近代港湾建設事業が始まりました。河川部を内港、遠くに見える半島部から防波提をこちらに突き出しで外港を建設する壮大な事業でした。残念ながら開港2年後、明治17年の台風で壊滅的打撃を受け放棄されました。
詳しい経過は昨年9月の記事にUPしてあります。
今、当時の工事の遺産として残るのは3本の運河のみです。絵の中にある川から海へ突き出す2本の導流提(戦後修復)の下に当時のものが埋まっているそうです。ここから今でも小型漁船が出入りしています。
漁船が走っているのは北上運河と呼ばれています。北上川とここを内水路で結び、さらに南下して松島湾、仙台城下の名取川、そしてさらに南下し阿武隈川を結びます。伊達政宗の命で安全な領内物資輸送水路として1600年ごろに南から開削を開始、中断期もあり結局全通完成したのが明治17年(1884)、約280年かかったことになります。
向こう側の集落が野蒜新町(のびるしんまち)といいます。工事が行われていたころは「野蒜新町 竹箒いらぬ、若い娘の裾ではく」とはやされるほどの賑わいだったそうですが今は静かな集落です。
以前描いた完成予想図再掲です。上の絵は内港と書いてあるところから見ています。以下2枚も再掲です。
市街地跡に残る公園跡、当時使用された土を固めるローラーが展示されています。
唯一それらしい遺構はこの運河と赤レンガの橋脚です。
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用紙はF8 ストラスモアです、いい紙です。
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まだ暖かい時、うちから50kmくらいのところにある鳴瀬川(なるせがわ)河口部でハゼその他なんでもこいの釣りをしました。野蒜(のびる)という地名です。
50mほど離れたところに地元のおじいさんと子どもが仲良く軽い投げ釣りをしていました。そのうち子どもがなつっこく寄ってきて、話しかけてきました。遠目に男の子かと思ったら体格のいい女の子でした。「4匹釣ったんだ・・」、「そう、よかったね、じいちゃんの晩げのおかずできたんだ」、「んだ、おじさんの竿いいなあ」、しっかりよいしょもできました。
地元の子らしいなかなか慣れた竿さばきでほいほいとハゼを仕留めていました、足元を見たら寒いのに素足にサンダル、元気でよろしい。帰りには急勾配の堤防を自転車をすいっと押し上げて行きました、やるなあ。
ここ、鳴瀬川河口は、近代土木史を学んだ人間にとって、忘れてはならないところです。日本初の近代港湾築造(政府直轄事業)が行われそして消えたところです。大久保利通の強力な後押しで明治11年に着工し同15年に内港部が完成、華やかな時代が来るかと思われましたがわずか2年後の17年に台風により港口部が破壊され結局修復されず廃港となりました。
次回、対岸から見たこの近代港湾建設の夢の跡を紹介します。
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用紙は八つ切りサイズです。画像の出方が変わりましたがいかがでしょうか。
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夕日はその日の天候や空の状態で色々な色を見せてくれます。秋は一番きれいな季節です。この北上川は追波川(おっぱがわ)とも呼ばれます、東流して追波湾にそそぐからでしょう。この上流30kmほどのところで新旧の北上川に分流しています、それは人為的にされたものです。
工事を命じたのは仙台藩祖伊達政宗で、責任者は天才的土木技術者の名が高い川上孫兵衛でした。こちらが新しいほうの北上川です。旧北上川は南流して石巻市に河口があり良港が開かれています。
この絵は少し前に北上川河口地区にハゼ釣りに行った帰りの道すがらです。夕日はまだ日没まで時間があったせいで白っぽい色、現実の空はもう少し明るかったのですが家に帰って描いているうちにどんどん色が重なり暗めになって行ってしまいました。
北上川下流では堤防の下に自由に入れることからいつも釣り人がいます。スズキ狙いや鯉釣り、ハゼやその他なんでもいいという人それぞれの仕掛けで遊んでいます。春のサクラマス、ニゴイ、マルタ、コイ、スズキ、クロダイ、ハゼ、ボラなど魚種も豊富で四季を通じていろんな魚が釣れます。
最近気がつきました、餌のアオイソメは仙台市内の量販店(上○屋)で買うのとこのあたりで買うのでは同じ値段で量が倍違います。こちらでは釣り現場に近づくにつれ高くなるのが基本みたいです。釣り師は道具には出費を惜しまないけれど餌代には急に敏感に、けちになります。
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晩秋はサケ科の産卵の季節、サケやらサクラマス、北国ではアメマスの遡上組、ヤマメやイワナの残留組それぞれ上流部に遡上してペアリング、産卵と受精をします。ふつうはそこで天寿をまっとうする訳ですが渓流組のヤマメやイワナは時としてその後も生き残り(特にメスのほうがしぶとい)年なし魚、スーパーヤマメと呼ばれる大型になることがあります。
ヤマメ♂「ふううーおらあ疲れたあー、おかげさんで無事にタマゴに俺の子孫を残せたし、思い残すことはねーだ、お先に天国行きだい。嫁さん、タマゴに不良イワナがよってくっから追っ払っておくれ、子どもが出てくるまでちょっとがんばってくれや、頼んだぜ」
ヤマメ♀「今年のあなた、さよなら。あたしゃ、大きな声じゃ言えないけれどお腹の中にタマゴを少し残しといたのよ、それを栄養にして来年まで生きてさあ、またいいおとこをつかまえるわよ、バイバイダーリン」
北海道ではサケの産卵後のタマゴをイワナ(オショロコマ)が狙って食べるので害魚扱いされることもあるとのことです。でもそれも自然の営みなんでしょうね。
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宮城県北部には広大ないわゆる大崎耕土が広がっています。かって伊達政宗と戦って破れ、歴史から姿を消した豪族葛西、大崎氏が支配していましたがはるかそれ以前からの歴史が積み重なる地域でもあります。
この絵は昨年の今頃に訪れた時の写真を見ながら描きました、右端の丘は400年ほどのヒガンザクラの古木がある神社林です。春になったら桜と一緒にこの水路で小鮒釣りもいいですね。
豊かな農地でもあることから遠く奈良時代から組織だった支配がなされていました。近くには奈良時代後期のものと言われる宮沢遺跡があり東西1,4km高さ50mのまるでピラミッドのような丘状の当時の巨大城柵遺構があります。いったいこれはなんだ?、誰が住んでいた??、全てが未解明です。
カラマツが2本、きれいな黄葉を見せていました、多分自生ではないでしょう、開拓地などに防風林として植えられていることが多い木です。針葉樹では珍しく秋に落葉するので落葉松の別名もあります。でもいちばん風を防いで欲しい時期に葉がない・・。そのほか落葉する針葉樹は中国から来た化石木のメタセコイアなんてのもあります。
地面で黄色が目立つ草は一時期日本を覆いつくすかと思われたセイタカアワダチソウです、私が学生時代の房総では一面この草で蓋われていましたが、増えすぎると自家中毒を起こすそうで今はそれほどではないようです。
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