歴史

2017年7月 2日 (日)

最上街道  門沢宿遠景

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 最上街道軽井沢越えと呼ばれた古街道の宿場のまちの遠景です。この先で旧街道に分かれ漆沢宿を経て軽井沢番所を通り山形側の銀山温泉へ至る峠越えの古街道が姿を残しています。山形側では仙台街道、宮城側ではなぜか最上街道ではなく最上海道と名がついています。
 
この先は明治期に開削された新道で母袋街道と呼ばれ昨年までは冬季は閉鎖される山道でしたが今年から通年交通が可能になりました。前の会社でこの道路改良の設計にかかわったのが15年前、ずいぶんと時間がかかりました。

 

 用紙はクレスタ―F6、絵具はレンブラントです。

 

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2015年10月 6日 (火)

千年里の棚田  仙台市泉区堂所

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 仙台市の最北、隣町との境界近くの山中に不思議な集落があります。
 町の中心部の根白石から1車線の山道を数キロ走ると突然のように10戸ほどの谷間の美しい集落が現れます。堂所と書いて“どうどころ“と読みます。絵の家は谷の一番上の位置でたぶん村おさだったのでしょう。
 周囲から隔絶された山あいの集落には平家の落人伝説がよくありますがここはさらに古く1200年くらいさかのぼります。背後の山にそのころの寺院の遺構(堂庭廃寺跡)があります。平安時代中期に蝦夷地支配の拠点だった多賀城国府の北西の最外郭線にあり監視所の機能もあったのでしょう。
 寺だけでは食料の調達もできないわけでこの谷間を耕作する人も同時に配置されたと考えられます。 

 用紙はミューズタッチⅡ46×28cm、絵具はレンブラントです。

 

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2015年9月14日 (月)

仙台駅前に路上靴磨きがいたころ昭和52年

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仙台の都市づくりの経過を少しづつ絵にしています。
 今年は昭和が続いていれば昭和90年です、 昭和57年に盛岡-大宮間で開通した東北新幹線がもう33年になります、昨日のことのように思いますがずいぶん遠いことになりました。
 古い写真を見ていたら昭和52年の新仙台駅工事の盛りの頃に駅前の道路上に靴磨き屋が店を出しているのを発見しました。
 今では公道上での商売は許されないのですがたぶん戦災復興のどさくさの中で店開きをして既得権だみたいなことだったのでしょう。このあたりには飲み屋の屋台も出ていましたが一代限りということで今はなくなりました。
 そういえば当時はまだ市道の舗装率を上げることが市長選挙の公約になるような時代でした。未舗装道路が多かったせいで靴が汚れて靴磨き屋の仕事があったようです。

用紙はWワトソンのF6、興味のあるところだけ色をつけました。

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2015年8月24日 (月)

旧羽州街道金山宿跡  山形県上山市金山

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 かって奥州街道と並んでみちのくの幹線街道として津軽藩から上山藩まで多くの大名の参勤交代に使われていた旧羽州街道の山形側最後の宿跡です。
 ここから奥の家のところを左へ折れ急坂を越えて仙台藩領へ入りその後奥州街道と合流します。往時は参勤交代だけではなく出羽三山詣りの参詣者や商人たちで賑わったであろう道ですが今はひっそりと眠っているようでした。
 現在は3軒の建物がありますが生活感が感じられるのは手前の1軒だけでした。
 峠への道は歴史の道として県市の手により守られています、その保存計画を立てる仕事をした15年前がなつかしくてちょっとさびしい風景ですが描きました。絵の中の人影は自分です、湧水の管があったので水汲みをし帰ってコーヒーを入れました。

 用紙はストラスモアインペリアルF8、絵具はシュミンケです。紙との相性もあるようでアルシュに比べると少し沈んだ感じの色になりました。

 

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2015年7月10日 (金)

60年前の記憶 エックス橋下  仙台市青葉区内旧宮城野橋

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 都市計画関連の仕事をしてきましたが先日関連業の友人から「せっかく仙台にずっといて絵が描けるのだから戦後の自分が見たまちづくりの歴史を描いたらどうか」と言われてその気になった第1作です。1955年をイメージしています。
 仙台駅の北側にあったこの絵の通称エックス(X)橋は昨年撤去されました。
 近くの小学校に通っていた自分は駅方面に行く時にこの橋下の道を通ることがありました。この一帯は空襲から焼け残り特殊な地域になっていましたが近年市街地再開発事業によりきれいになりました。ここを歩くのは子どもどころか大人にも恐いところで特に夜になるともっと特殊な一帯になりました。
 橋の下には当時浮浪者と言われた人たちが共同生活をしていました。だから車が通ることもなくたまに通るのはリヤカーくらいです。新幹線がそばを走る時代になってもこの界隈で酒が飲める人はエックス橋の酒飲み人、筋金入りの酒飲みであると尊敬されました。

 

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2015年6月23日 (火)

羽州街道金山越え  山形県上山市 金山宿跡

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 旧羽州街道が奥羽山系を越えて出羽国から陸奥国へ出る最終の宿です。
 本宿ではなく正面の金山峠を越える前にひと休みしたり悪天候の際の避難場所の役割の間宿(あいのしゅく)機能を持っていました。
 ここから急坂を2㎞登り金山峠を越えるこの道を藩政期には津軽藩から上山藩まで13家の大名の参勤交代が通りました。加えて出羽三山参りの人々も通り往時はさぞ賑やかだったことでしょう。
 15年ほど前にこの歴史街道の保存計画調査の仕事に携わったのでその後どうなったか気になり寄りました。調査当時は数軒の古い屋敷が残っていましたが当時の家は絵の無住の1軒を除いてありませんでしたが道はきちんと保存されていました。畑が使われていたので住民の通いはあるようです。

 用紙はレンブラントF4相当、絵具はラウニーです。ラウニーらしさがでました、この紙は絵具の個性をしっかり出してくれるようです。

 

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2014年7月17日 (木)

おくのほそ道 鳴子の湯を見やりて尿前の関を出る 大崎市鳴子温泉

前記事の尿前の関の仙台藩側から出たところから振り返ります。山形側から来ると入口になります。戸数は数えませんでしたが数軒で関守の素封家遊佐家の子孫の方もおられるそうです。
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 ここから急な登り道と沢渡りを繰り返して藩境の中山宿に至ります。この日の関所での長い足止めの後に芭蕉主従は途中夜間行軍の末に山形の堺田で民家にころがりこんで泊めてもらっています。そこはここから10kmあります、日の長い6月とはいえたいした健脚です。隠密説があるのもうなずけます。
 
 ここからは旧街道がよく保存されています。
14 さあ、出羽街道中山越えへ


用紙はワトソンF2、絵具は水彩色鉛筆の英ダーヴェントです。水彩色鉛筆は色が濃くならないので杉木立は水彩絵具で補強しました。

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2014年7月14日 (月)

おくのほそ道 尿前の関 大崎市鳴子温泉

仙台藩と出羽の藩境は5kmほど先、急勾配や沢越えの山道を越えて行きます。ここ尿前(しとまえ)の関は重要な関所で仙台藩では厳しい警戒がなされていました。
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 おくのほそ道のハイライト部分は荒雄川を渡ってすぐのここで隠密の疑いをもたれたらしく足止めをくい出羽へ超えるのが遅くなったあたりからはじまります。 

 地元の素封家と岩出山藩の役人が関所を守っていて10戸ほどの小集落になっていたそうです。現在も数軒の家がありその中にその子孫の方もおられるとのことです。
 
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 現地に復元図がありました、でも方向が分からず現在の地形と合わせることができませんが、関所の中央部の大きな屋敷が素封家の家で検問所も兼ねています。その大きな家をイメージさせる家が一軒ありました。

 絵の視点の背後は街道の痕跡も消え国道108号のバイパス工事が盛んに行われていて昔の雰囲気をしのぶことはできませんが、ここから西方向(山形方向)中山越えはしっかり保存されています。

 用紙はランプライトF6相当、絵具はレンブラントです。

 

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2014年7月 9日 (水)

おくのほそ道 鳴子の湯を見やりて  大崎市鳴子温泉

 おくのほそ道 “なるごの湯より尿前の関にかかりて、出羽の国へ超えんとす”
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 元禄2年5月15日芭蕉主従は岩出山に一泊ののち鳴子温泉の湯けむりを荒雄川の対岸に見て藩境の関所に向かいます。荒雄川左岸のこの旧出羽街道は部分的に新しい2車線の道になっていますが通る車も少なく当時の雰囲気を感じさせてくれる風景があります。めざす尿前(しとまえ)の関は中央遠景の花渕山のすそ部にあります。

  かなりの年月を経たであろう老杉の下にいくつかの古碑がありました、旧街道のころは一里塚があったのではないかと想像します。いずれもお墓ではなく馬頭観音などの信仰によるものです。きちんと並んでいるのは道路改良の際にまとめられたようです。

  この旧出羽街道は鳴子温泉のまち部に入ると消えてしまいますが荒雄川を越えて(今は迂回が必要)尿前の関からはよく保存されています。芭蕉主従は渡し船で関所へ向かいました。

 
 
 用紙はウオーターフォードF6、絵具はターナーです。350年前の芭蕉のイメージと今がごっちゃになっていますがそこは絵の楽しさです。

 

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2014年6月23日 (月)

おくのほそ道 出羽街道  宮城県岩出山町上野目

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 昨年6月にUPしたものですが前記事との話の続きでの再掲です。元禄2年5月14日(旧暦)岩出山に1泊した芭蕉主従は翌日この道をたどり正面にそびえる花渕山の裾を回って(中山越え)出羽へ向かいました、時代のなかで道の幅や位置は若干変わっているでしょうが今残る道は風景とともに芭蕉が歩いたころの雰囲気を十分感じさせてくれます。
 道沿いには縄文・弥生時代の遺跡や政宗以前の豪族の居城跡もあり古くからの人々の営みをしのぶこともできます。

 昨年まであったこの茅葺き家は今年は取り壊されていました、かなり傷んでいたのでやむを得ないところでしょう。

 次は“みづの小島”です。

 

 用紙はウオーターフォードF6、絵具はラウニーです。

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