歴史

2009年11月28日 (土)

古代官道の里  名取市愛島(めでしま)

 仙台市の南隣に名取市があります。ここの西側に連なる丘陵の裾に沿って古代律令国家の時代から開かれた街道があります。蝦夷との抗争(平和に暮らしていた蝦夷からみれば勝手に押し込んできて従え!金を出せ!)の軍道の機能を持った幹線国道いわゆる官道です。その名は東山道(とうさんどう)といいます、正確な位置。規模の遺構は出ていませんがこのあたりだろうとされています。

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その後平泉王国が成立した頃には奥大道(おくだいどう)と呼ばれる幹線道となり宿駅もでき交易の道としてにぎわいました。その後江戸期に少しルートを変えて奥州街道となり現代までつながっていくことになります。その起点は江戸ではなく福島県白河市です。

この近くに、平安時代の歌仙のひとり藤原実方朝臣(実方中将)の墓と伝えられる史跡があります。左遷されての下り旅の途中、998年にここで落馬して亡くなった、原因は近くの道祖神(現存)に無礼を働きその報いであると伝えられています、その歴史を追って後の西行法師や芭蕉も訪れたところです。

里の紅葉も赤茶色に変わりました。落葉までのほんの少しの間の名残の色です。この風景を見ている背後では新幹線がぶっとんで行きます。千年前と今との不思議な対比です。

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2009年11月20日 (金)

笹谷古街道 冬近く   山形市 関沢宿

江戸期よりずっと前から山形方面と太平洋側(奥州街道)を結んでいた笹谷峠越えの古街道です。仙台城下への街道は別ルートの二口越えです。今はこの先20mで行き止まり、新国道ですっぱりと切られています。この先には民家は1軒だけです、立ち寄った時はその家のおばあさんが道路で野菜を洗っていました、この冬の漬物の材料です。

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いくつかの立派な古碑が並んでいます、全て江戸時代の年号が刻まれています。手前にある小牛田山神(こごたやまのかみ)は仙台の北の小牛田町にある山の神神社のことでしょう。ここは子宝安産の神様として庶民に親しまれた神さまです。

鉄道員だった祖父の出張のおみやげはいつも小牛田駅売りの名物山の神饅頭でした。袋の日本髪のお母さんに手をひかれお参りする子どもの絵柄を覚えています。

 このあたりからお参りに行った人がいたのかと驚きました、石碑は子宝に恵まれた御礼かな。そのほかは蔵王や湯殿山などの山神、ハスの花を抱いた観音様、庚申信仰塚、変ったところでは遠い四国の金比羅さんがありました。

 碑群の背後に江戸時代の関所役人のものらしいお墓がならんでいます、中央に主人、脇に奥方、そのまわりにいくつか、小さいのは童子墓がきちんとコの字型に並んでいます。お供えがあるので縁者がまだおられるようです。田はもちろん畑もろくに作れない急斜面の土地での暮らしはどんなだったのでしょう。

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今年の初夏に訪れて描いたものです。方角は反対でおばあさんがいるところから見下ろしています。この季節は生き物の命が大きく育っていく力を感じることができます。好きな季節です。

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2009年11月12日 (木)

殿様のお屋敷はとても質素   宮城県大和町宮床

   短い秋の色を惜しみながら急ピッチで描いています。

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 仙台藩の伊達一門、第7席の宮床伊達家(8000石)が明治初期に移り住んだお屋敷です。町内の別のところから道路拡張に伴い移設されました。ですから周りは付属建物はなく周囲は当時とは異なるしつらえでしょうがお屋敷は当時の姿を伝えています。多分往時は門や塀、蔵や別棟、庭園などがあったのでしょう、付近に宝蔵という名の展示施設があります。今風にいうと5Kというところ、建物は江戸時代のものです。

 上級武家はいばって豪邸に住んでいたような誤解がありますが、地方ではみんな質素でした。むしろ農家とくに庄屋や肝煎りのほうがはるかに豊かで大きな家でした。

 背後に見える七ツ森のふもと、江戸時代からはるかにさかのぼる平安時代の寺院遺構もある歴史の古い里です。うちから30kmほどのところでそののびやかな風景が好きでよく訪れます。

 建物の中では、イベントが企画されているらしく近所の奥さん方がなにやら作業中でした。

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 宮城県加美町にある武家住宅松本家(国重文)です、仙台藩の重臣奥山家の家老職ですから身分的には上級武士ですが広い敷地を使用した半農半武という暮らしむきだったのでしょう。間取り的には3Kです。

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 県南の白石市にある武家住宅小関家(県文化財)です、重臣片倉家の幹部用人で中級武士といえます。間取りは松本家と同じ3Kです。こちらは外回りも残り往時の姿をしのばせます。

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 蔵王町にある豪農我妻家(重文)です。桁行19間半、梁間5間半もの巨大な住宅です。商売のかたわら地域の肝煎りや神主をつとめた地域の名家です。母屋は100坪くらいの大きさです。

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 山形県中山町にある豪農、豪商の柏倉家(県文化財)です。領主がしょっちゅう変った山形藩にあって6000石の大地主、大庄家として地域の安定に尽くしたそうです。周囲には分家が建ち並びひとつの集落ができあがっています。建物は360坪と聞きました。

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2009年8月29日 (土)

緑の谷の兜づくり、文化財  湯殿山中 田麦俣-5

前記事で紹介してきた2軒の兜づくりの古民家のうち、昭和49年に県文化財になり昭和52年に半解体復元がされたものです。もとは江戸時代文化文政(1840年前後)期の建物と推定されています。

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当時は寄せ棟づくりでしたが明治期に入り養蚕が全国的に盛んになるとそれに適したつくりに改造されて妻側は「高はっぽう」といういわゆる「兜づくり」になり平側には採光と煙出しの窓が造られました。(パンフレットより)

1階は家族と馬の居住、2階は下男たち(多分次三男)の居住と作業場兼物置空間、3階は養蚕と作業の空間「厨子」、さらにその上の屋根裏部に物置用の「天井厨子」があります。

当時の次三男の立場は今では想像できないほど過酷なもので、せまい土地ゆえ分家もかなわず嫁ももらえず一生下男同様だったのです、2階に上がった時にはそのうらみ節が聞えるような気がしました。雪深い寒冷地ゆえのきびしい暮らしでした。しかし長男夫婦といえどもこの家でもその寝室はわずか2畳の空間にすぎません。

そういえば父の実家の越後豊栄では長男を「あんにゃ」と呼び次男を「もしかあんにゃ」と呼びました。次男はもしかすると(長男が死ぬと)跡継ぎに昇格するからです、なんとなく越後の豊かさの愛嬌が感じられる呼びかたです。父は四男でしたからまるっきりお呼びではありませんでした。

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2009年8月20日 (木)

谷は緑に埋まって  湯殿山中 田麦俣-2

 前記事の線描きを少し直して着彩しました。

 ここは湯殿山参りの庄内地方からの最後の集落になります、峠を越えれば村山地方です。芥川賞小説「月山」 森敦著の舞台になったのはこのひとつ下の集落です。急な谷間なので空が小さく、視界には圧倒的に緑です。

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 急な旧六十里越街道が田麦川に下る斜面に20戸ほどの家があります、伝統民家の兜作りの屋根を持つ家は2軒、一番目立つところにあります。右側の家は文化財指定がさ鶴岡市の所有で、左側のお宅で見学券を売っています、管理的なこともされているのでしょう。解体修理の際に周りの敷地も造成されたようで新しい石垣(コンクリート擬石)が組まれていて、似合わないなあという感じでした。

 ひとつ下の集落には3つの真言宗のお寺にそれぞれ即身成仏を願った江戸時代の行者のミイラが今も祀られています。弘法大師開山の湯殿山ですからそのような信仰に基づくものでしょう。

 他の地方のミイラと異なるのは、死んでからではなく生きているうちから五穀断ち、十穀断ちと食物を減らし体の油分を抜きながら最終的に土の中に埋まって餓死するという死行であることです。そんな行いから「木食上人」と呼ばれることもあります。

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2009年8月16日 (日)

奥州街道  仙台城下 北の入口  通町

 旧奥州街道が北から仙台城下へ入る際の入口にあたる通町(とおりちょう)の北端部です、北を見ています。突き当たりは伊達政宗を祀る青葉神社で街道は右に折れて北へ向かいます。この先には足軽衆を配置した堤町(つつみまち)があり街道監視の役割を担っていました。

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正面の森は北山と呼ばれ城下と在郷の境目にあたり、政宗はここに譜代の5つの禅宗寺院を配置し防御拠点的な意味を持たせています。

青葉神社は明治初期にその寺院のひとつを動かして作られたもので江戸時代にはありませんでした。一時期神社優先の時代背景があった故です。

かっては、日本有数の大藩の城下らしく大型の商家が並んでいましたが、今はほとんど残っておらず面影を偲ぶことができるのはこのお宅と他2軒のみですがいずれも現役ではありません。表札には仙台の著名な旧家の一族のお名前がありました。

仙台七夕まつりのさなかに竹飾りの出ている旧街道のイメージでロケハンしましたが通りにはまったくなしでした、古い町なのに残念です。

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2009年8月 2日 (日)

ノカンゾウとヤマユリ   仙台市青葉区 定義古道

 ここは仙台の人々の庶民信仰を集める古寺、定義(じょうげ)如来を祀る極楽山西方寺(とてもわかりやすい名です)に行く参詣道です、背景の山並みの向こう側で、平家の落人むらの中心です、歴史的に由緒正しいところで姓が平さんというお宅がたくさんあります。

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この先は急な下り坂になり一車線のせまい道になります。家はなく大雨が降ると通行止めになるような険しい道です。

梅雨の中で豪華なヤマユリが次々と咲きます、その脇には最近少なくなりましたがノ(野)カンゾウが咲いています。ヤブカンゾウの少々不気味な八重咲きとくらべて色合いは同じですがすっきりとした一重咲きで私の好みです。 

私の好きな矢口高雄さんのふるさとの絵にはこのノカンゾウしか出てきません。秋田県はこのほうが多いのでしょう。

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2009年6月 5日 (金)

観音様が見守る古街道   笹谷街道 山形市関沢宿

 仙台と山形最上地方を結ぶ古街道の笹谷街道の山形側からの最終宿場です、番所も置かれていました。高速道路の笹谷トンネルや国道286号の改良で古道はところどころ分断されています。ここは宿場の一番奥にあたり見下ろす視点になります。宿場らしく同じ規模の宅地が並びところどころ空き地になっていますが20戸ほどの家があります。

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 5つの古碑が並んでいます、いずれも約200年前の江戸時代の年号が刻まれています。左から庚申塚(明和)、山神(文化)、湯殿山、蔵王山(寛政)、なぜか海の神さま金比羅さん、そしてとても美人さんの観音様(文化)がハスの花を抱いて刻まれています。ここから峠にかかる旅人の安全を願って建てられたのでしょう。

この古碑群の背後には、昔ここで生涯を終えた関守のものと思われる墓があります。主人格らしい墓石の年号は300年前の元禄で、明治初期のものや女性や童子まで12基がきちんとコの字型にならんでいます。 

道沿いではタニウツギのピンクの花が盛りです、あまり人の目をひきませんが小さなピンクのトランペッツト状の花が群れて咲きます。よく見るとサクラに負けないくらいきれいです。

たいへんな山の中に見えますが実は山形市中心部まで車で15分のところにあります。と言ってもかなりの急勾配の道で、私の2000ccの車でも上りは5速から4速に落とさないと60kmを保てません。

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宿場の一番下から見上げるとこんなふうです、急勾配の土地に石垣を積んで作られています。この地域では庭を大切にします、ここも寒くせまい宅地ながらきちんと手入れがされています。

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2009年5月19日 (火)

義経にからむ伝承が山形市にありました  山形市宝沢

 山形の大学へ通う時に横目で見ていた山形市の宝沢という集落でロケハンをしていたところ、義経を奥州平泉へ連れて行った金売り吉次の両親がここの長者だったという伝承があることを知りました。炭焼き藤太という名前でその末裔もここに住まいしているとのことでした。

 えっ、確か金売り吉次は平泉の南の宮城県金成(かんなり)の出のはず、その親の炭焼き籐太ほかの一族の墓や屋敷跡もそこと聞いていたのですが・・・歴史ミステリーはいろいろありますねえ。

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 どちらの地名も金や宝に関連しているところから見てここ宝沢もきっと金か銀が産出したのでしょう。集落の左は深い谷になっていて急流が流れ落ちています。

 ここは、蔵王権現信仰の参詣道にあたり古碑や神社、祠がたくさん並んでいて一つ一つ見ていると飽きません。遠くに雪を残す蔵王連峰が見え新緑の今手足を伸ばして深呼吸をしたくなりました。少し下ると仙台藩と最上との古街道笹谷街道につながります。新緑の生命力が満ちている山のパワーを少しもらうことができました。

 畑のはじっこに、前は手入れされていたらしい花やツツジが「別にー、勝手に咲くわよ」という感じで咲いていました。野生のヤマツツジも盛りです。

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2009年2月26日 (木)

登録有形文化財 巨大店蔵   秋田県増田町

 増田町その2です。

マタロクカメラ店の正面です。表の部分が改装されていますが中は昔のままです。まちのカメラ店らしくお客さん方の作品が展示されています。

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平成172月に佐藤又六商店の名前で国登録有形文化財の指定を受けています。ご主人からのお手紙の一部です。

「店は昭和41年に私が開業して現在に至っています。店名は代々襲名しています、佐藤又六をカタカナにして名づけました。当店は店の部分から蔵になっています、明治元年に建築、3年間で完成しその時に購入した柱時計が今でも現役で時を刻んでいます。こちらへおいでの際には是非およりください」。

ありがとうございます。ぜひ10月の第4回蔵の日には行きます、内蔵の見学が楽しみ。明治期には旧増田銀行を設立するなどの豪商だった歴史があるお宅ですからどんな豪華なつくりなのか想像もつきません。

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